卒論第2章(いちおう)完成記念・・ではないですが,11/30にDVDが出たダ・ヴィンチ コードを借りて見ました。見た目的は,
鑑賞というよりも「勉強」のためです。「反キリスト教的だ」と言われたこの映画ですが,
一体どのような描き方をしているのか興味があったのです。
見終えての感想ですが,一言で言うなら「うーん,作為的だな・・」という感じ。つまらないわけではなく,
アクションや謎解きのおもしろさがあるのですが,全体的に見て,ある方向に観客を誘導しようという「意志」が,
作品の中心に据えられているのをひしひしと感じます。
2時間半の長い映画ですが,最初の1時間は謎めいた殺人事件を巡る駆け引きで,ごく普通の映画。しかし1時間を超えたあたりで「リー」
という老人が登場すると物語は一転。自説を長々とぶち上げる彼のペースに,誘導されていくのです。
その主張は,あの「最後の晩餐」の絵の中(キリストの右隣)にマグダラのマリヤがいるというもの。
従来ヨハネであるとされてきた人物ですが,これが「女性的な特徴がある。絵を動かしてキリストの右に持ってくると,
キリストに寄り添っているように見える。つまりマリヤなのだ」というのです。そして,「マリヤとキリストのは結婚関係にあり,
その子孫を守る修道会があった。いまもその末裔は生きているのだ」という話になっていきます。そして最後には主人公(ラングドン)に
「イエスは神の子でなくても良いではないか。彼の功績は変わらない。」という趣旨のことを言わせています。
つまり,この映画は最終的には「キリストは神ではなく人であった」ということを主張するためのストーリーであることが,
この段階で明確になるのです。そして,キリスト教界が反対する理由もまさにここにあります。キリストは「神になった」,あるいは
「神に祭り上げられた」のではなく,はじめから神であり,その神が受肉して世に来た,というのは,キリスト教の根本的な主張であるからです。
その点では,この映画は問題性が非常に高いと言えます。
ただ感情的になって声高に非難したり,逆にキャンペーンを張ったりする必要もない,とも言えます。
あまりにも時代考証や物的証拠に乏しい内容だからです。ただ,知識のない人が見ると「そうかも・・」と思ってしまう危険性はあります。
ですから,私が見た中で問題と感じた部分を下に列挙しておきます。
1) ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」の解釈の誤り
すでに書いたとおり,キリストの左隣の人物が女性的なのでヨハネではなく,マリヤであるとする主張ですが,
これはダヴィンチの画風で他にも女性的な描かれ方をする男性がいるそうですから根拠になりません。また,
ヨハネではないとすれば彼はどこにいるのでしょうか。イスカリオテのユダでさえ書かれているのに,
中心的な弟子のヨハネがいないのは不自然になります。また聖書の記述(ヨハネ13:23,25)とも相容れません。また,
この人物を右側に持っていくとイエスに寄り添うように見える事が,映画中ではCGで表現されますが,
そもそもヨハネはペテロに耳打ちしているのであり,ペテロの方に傾いているのですから,その位置を変えれば符合するのは当然のことです。
このような「切り絵あそび」は視覚的には非常に効果がありますが,小学生でも考えつくことで,根拠にはなり得ません。
2) 教会史の事実である部分とそうでない部分の不適切な混合
2000年の教会史のなかで「負の部分」があることは,当然ながら認める必要があります。十字軍に代表される異教徒への迫害,
魔女狩り,異端審問,科学者への迫害(コペルニクスやガリレオなど)などは,歴史上の事実です。キリスト者である私たちは,
そのような罪の現実を見据え,主の教えをないがしろにしてきた事実を認め,悔い改めなければなりません。・・・しかしながら,
この映画ではそのような事実の部分と,「ピリポの福音書」や「マリヤの福音書」
といった年代的にも内容的にも明らかな偽作であることが判明している書物を「事実だ」として,同列に置くという大きな問題があります。
知識を持っていない一般の観客には区別が付かず,ともすると全てを真実だと考えてしまうかも知れません。
3) 仮説を「事実に基づく」と主張する不誠実さ
これは上の2)とほぼ同じことですが,学問的検証に耐え得ないような内容を「この映画は事実に基づくものである」と主張することは,
観客を欺く行為であり,不誠実以外の何物でもありません。「このような説もあります」と言って見せるのと「これは事実がベースです」
と言うのとでは,印象がまるで違います。また,劇中に登場する「オプス・デイ」は実在の組織だそうですが,大幅に脚色されていますし,
「シオン修道会」という組織も,実際は20世紀に結成され,数十年で解散しているそうです。
・・・・
専門的な議論は,その手の本に譲るとして,私はあくまでクリスチャンの一視聴者として見たならば
「この映画にはいたずらに観客の懐疑心や,うわさ話好きの性質をあおる仕掛けが沢山ある」と言わざるをえません。また,
アクションや謎解きもそれ程おもしろみはありません。(同種の謎解き映画ならば「ナショナル・トレジャー」の方が遙かに面白く,
安心して楽しめます。おすすめです。)
ただ,それが信仰の核心に関わる部分だからと言って,世間が過剰反応しているようにも見えます。世の中には,
人間の罪の現実を示すような娯楽映画はいくらでもあるのに,この映画だけ注目されすぎたようにも思えます。
普段から知性を働かせて普段から学びを怠らず,冷静に見極めをするキリスト者であれば,
たちどころにこの映画のメッセージの偽りを見抜くことができるはずです。
その意味で,この映画は私たちクリスチャンに「学ぶことの大切さを教えている格好の教材」,といえるのではないでしょうか。
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