10年ぶりの同窓会

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DSCF0284 昨日は二十歳の成人式の時以来,実に10年ぶりとなる,
母校の厚木高校の同期の同窓会に行ってきました。

本当は,今行っている 神学校 の卒業論文の追い込みで忙しく,
正直参加するかどうかかなり迷ったのですが,結論から言えば「参加して大正解!」でした。

とにかく楽しかった。10年ぶりということで「お前,今何してんの?」
から始まって結婚話や仕事話や人生観や信仰観まで話しに花が咲くこと咲くこと。6時~8時半までの時間は一瞬で過ぎ去り,
9時前になっても会場が埋まっていたので,最後は幹事のA部ちゃんに,「みなさま,何卒・・!」と言わせるほどでした。

10年ぶりで仲間達を見て思うのは,人によって「変わり方(老け方?)」に随分違いがあるな,ということ。「お前,そのまんまだな!」
という人もいれば,ふくよかになった方もあり。みんな色々に人生の変化を経験しつつも,しっかりと生きているな,という感じでした。
さすが厚高生だな,と思いました。

ちなみに私がみんなから言われたのは「痩せたね」,「老けたなぁ」,「ヒゲが濃くなったな」,「落ち着いたねぇ~」とか,「え,
神父さんになるの?意外~っ!」とかいろいろ。だいたい予想通りでしたが,僕としては,「カトリックとプロテスタントって,何が違うの。」
という質問が多かったのが印象的でした。確かに,信仰の本質的な部分(神のイエス・キリストの十字架による救い)では変わりはないのですが,
聖書の理解の仕方,教会観,典礼の扱いなどで大きな違いがあります。しかし,マルチン・
ルター以降500年に渡って共存してきたということからも,どちらかを一方的「良い」と判断することなどできないのは確かです。
にもかかわらず,世界では一方的に相手を断罪することで,どれほど多くの争いが引き起こされてきたことか・・。それを思うと心が痛みます。

僕は,自分の信仰は,自分自身のものだと思っています。確かにクリスチャンの両親の元に生まれて,赤ちゃんの時も,高校時代も,
大学時代も,日曜日は教会にずっと通っていました。でもその延長線上で信仰をなんとなく持った,と言うわけではありません。
「この道に自分は生きる」。と思って信仰告白しましたし,また大学院の後期課程を辞めて,全く違う今の道(伝道者になるために学ぶこと)
を選びました。そこには神様の揺るぎない導きがあり,励ましがあり,涙があり,周りの人々や自分自身の祈りがあったわけです。これからも,
この神様に従う道に歩むこと。それが僕の道です。

恐れや不安はもちろんあります。でも,神様は今までも僕の人生で何一つ必要のないことをされなかったし,これからも,
全てが益に変えられるのだということには,揺るぎない確信があります。だから,試練や辛いことも,乗り越えていけると,希望が湧くのです。

・・・・

同窓会の会場で,「僕はいちクリスチャンとして,なにができるかな」と思っていましたが,思いの外,いろんな人に,
自分の信仰を少しでも証しする機会が与えられて,そのことが本当に嬉しかったです。

ちなみに,その後二次会にも行きました。玉川中学校出身の5人+2人で行きました。昔話に花が咲き,これまた最高のひとときでした。
いっしょに行ってくれたみんなに感謝!!

そして,次回の同窓会まで,皆さんのご活躍を祈っています。

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