言わずと知れた、「ダ・ヴィンチ コード」の続編で、トム・ハンクス主演。トム・ハンクスは好きな俳優なので大抵の映画は見ているのですが、この映画は新作料金を払ってまで見る気はせず、旧作100円レンタルになるまで待っていたので、今さら感はありますね。
全体の感想としては、「これはカトリック教会は気分を害するだろうな…」という印象。ヴァチカンが舞台ということもあり、彼らとしては「自分の庭を荒らされた」という印象を持つことでしょう。
プロテスタントのキリスト者からの視点で観た場合、よくありがちなアメリカンテイストの謎解き映画、という風に感じます。ニコラス・ケイジ主演の「ナショナル・トレジャー」シリーズにそっくりで、二番煎じの印象さえ受けますが、私はこの手の映画が好きなので、純娯楽作品としては比較的楽しめる気がします。そして、そのようなスタンスで観るべき映画だと思います。
けれども、扱っている内容が内容なだけに、それだけで終わらせるわけにもいきません。つまり、この映画がキリスト教界に与える影響はどうなのか、ということです。
率直に言えば、この映画は前作「ダ・ヴィンチ コード」よりも陰謀論的な色彩は薄く、特に冒頭に登場する「反物質」の存在によって、明らかにフィクションであることが分かることから、前作ほどの懸念はないのではないかと思います。少なくとも、この映画を観てキリスト教にネガティブなイメージを持つ人はあまりいないでしょう。いるとすれば、映像になったとたんにすぐに「事実」と信じてしまうタイプの人くらいのものでしょう。 今回の場合、むしろ被害を被ったのは、CERN の方ではないかと思います。 実際、東大の早野教授が、反論のブログ を立ち上げているほど。
私が思うに、ハワード監督は、前作で非常に叩かれたので、大胆な演出をしつつも、同時に用心深く信仰を「擁護」するようなセリフを登場人物に語らせてバランスを取ろうとしているようにさえ感じられます。 けれども、肝心の彼自身のキリスト教に対する姿勢は、「キリスト教を人間中心主義的に外から見て理解しようとするとこうなる」を地でいっているようなものです。決して信仰を否定しようとも思っていないが、かといって、積極的に肯定しようともしていない。 代わりに中心に据えられるのは「理性と信仰の両立の道はないのか」というありがちな問いかけであり、一応はそれに解決を見いだした気になっている・・・。
言うなれば、「頼まれてもいないのに、自ら信仰と科学の間の仲裁者を買って出て、挙げ句に両者から叩かれている」。そういう印象を受ける映画です。
そして、7~8年前にハリー・ポッターが公開されたときに「子供達が魔法の虜になる!」などという騒ぎがおこったのを経験して以来、思い始めたことですが、「いい加減、キリスト教界は、セキュラーの映画の描写をとりあげて、いちいち、これはキリスト教的、これは反キリスト教的、というレッテルを貼って叩くのを止めるべきではないか」、ということです。
そんなことをしても、相手を利するだけで何の得にもなりません。
むしろ、キリスト者は、愛の実践という生き方を通して応答すべきではないでしょうか。
それが、教会始まって以来の不動の真理だと思うのですが。
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