「マザー・テレサ」を見た

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すでに一昨日のことになるが、映画「マザー・テレサ」を、新宿の武蔵野館という小さい映画館で見た。(場所が今ひとつ分からず、
PHSの地図検索をフル活用してようやく突き当てた)。この日は宣教会のリトリートが昼前に終わり、
祈祷会までの時間が6時間くらい空いたからである。

すごく、よかった。

今までに見た映画の中でも、一番泣いた。冒頭のテレサが駅で老人の「私は渇く」という声を聞くところから、涙が自然とあふれてきた。
どんな映画よりも、いちばんイエス・キリストを感じた映画であった。終わってから、
僕にしては珍しく案内の冊子まで買ってしまったのであった。

なんだか、クリスチャンである自分について深く考えさせられた。共感と行動に裏打ちされた信仰生活は、
なんと証しに満ちていることだろうかと思った。お題目だけ唱えてウチにこもっていてはだめだと、この映画はそう告げていた。

ラストがまた、印象的である。「私の30年間の業績がパアだ」と言った運営会議の議長(らしき人)の言葉が突き刺さる。それは、
すなわち私であった。

そして、「慰められるよりは、慰めることを・・」というマザーのあの祈りが響く。どうしようもなく、涙があふれる。
奉仕教会でマザーのこの祈りを何度も祈っているのだが、ようやく心に響き渡ってきた気がする。

この映画は、クリスチャンの皆さんにぜひお勧めしたい。そうでないひとも、魂を揺さぶられることだろう。

映画館を出ると、またもとの喧噪である。その落差を思いつつ、精一杯生きていきたい。
そう、思わされた。

コメント

  1. 日下かおり より:

    お久しぶりです。
    今は学生さんに大変な時期なのでしょうね
    (といっても、あそこの学生さんに楽なときがあるのか疑問ではありますが)
    暇ができたら、たまにはブログも更新してくださいね