Made in Japan の危機?

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今回は、信じられないというか、そこまで来たかという記事の紹介です。まずは下の記事をお読み下さい。

キヤノンの一眼レフで不良事故が多発する理由、製造請負依存の死角 [東洋経済]

本当にこれは日本の現場の記事なのか、海外の工場の状況を翻訳したのではないかと錯覚してしまいそうな内容です。この記事に書いてあることが事実であって、しかも広範囲に行われている事柄だとするなら、「モノづくり日本」にとっても深刻なことだと思います。

問題の根本はどこにあるかといえば、「誰も責任を取ろうとしない組織体制」にあることは言うまでもありません。キャノンの工場の中で、請負会社の社員は治外法権状態になっており、キャノン側も口出しできないということです。キャノンでは一昨年来「偽装請負」が問題になっていますが、そうした労働契約上の偽装問題もさることながら、キヤノン本社も請負会社も互いに不良を出した責任をなすりつけあって一歩も引かないという状況が生まれているのです。これは大問題だと思います。

人間、責任を取らなくても良いとなれば、よほどの職人魂を持った人でもない限り、低きに流れていくのは目に見えています。製造請負という歪んだ制度は、このキャノンの例のように誰も責任を取らなくて良い集団を生み出してしまうという点で、致命的であると思います。あらゆる組織は、各人がきっちりと責任を果たすことで円滑に業務を進めていくことができます。責任の所在が曖昧な組織には未来がないのです。

教会では、企業とは違って義務としてそれを行うのではなく、神の恵みに対する自発的応答として行うという点が著しく違いますが、それでも、神が託された賜物を有効に用いるという「責任」が与えられています。

今回の出来事が、責任を負うことを忌避する風潮が日本に広まりつつあることの表れだとするならば、今こそ教会が愛によって世に証ししていくべき時ではないかと思わされました。

「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6章2節)

コメント

  1. ブル馬鹿 より:

     私も以前、某日産車の請負現場の長だったので分かるのですが、なかなか根深い問題です。私の会社の請負社員のレベルは最低でした。しかしメーカーは請負社員には直接ひと言も何も言えないので(これは厳格に守られています)、メーカーの人は朝礼などで、私の目を見て独り言風に指示を出す、そんな感じでした。
     いうまでもなく、請負の形態は、指揮命令権が請け負い先(メーカーなど)ではなく、請負業者(派遣会社など)にあるため、請負先は請負業者の指揮命令者(つまり上でいえば私)にしか指示を出すことができません。つまり重要な伝達も「伝言ゲーム」化してしまうのです。
     もう一つは、請負社員はメーカーの社員ではないため、メーカーへの帰属意識が無く、実際の製造現場では「怒られなければいいや」「ばれなければいいや」と無責任になりがちです。クルマのネジを1個や2個無くしても走ることは走るし、それがファイナルチェックを通過したらオレはあとは知らん、それよりも早く家に帰りたい、という人も多いです。どうせ一生仕事をする職場でもないし、遅刻や早退何のその、朝怠かったらそれで来ない、という程度のレベルです。
     その尻ぬぐいをするのが私たち指揮命令者やメーカーの人です。
     私の派遣会社は、出社拒否を恐れ、所長クラスまで請負社員を甘やかしていたので、そんな酷い結果となったのですが、別の関係者に「お前の会社は良くない。(請負社員がミスしたら)ドカンと怒鳴ってやらなければダメなんだよ」とよく言われていました。