タイトルとは一見すると関係ないように思えますが、しっかりと関係している記事を紹介したいと思います。まずはお読み下さい。WWCDとは米アップルの開発者向けカンファレンスで、同社の新製品や新サービスが公表される重要な機会です。
WWCD基調講演に思う、計画的陳腐化時代の終わり [PC Watch]
Mac ユーザーでもない私がこの記事をとりあげたのは、もちろん次の携帯としての iPhone 3G S に興味があることもありますが、それよりも、この記事の「計画的陳腐化時代は終わった」という主張に、「わが意を得たり」の思いがしたからです。
私がことケータイ文化を見てきて日本という国の異常性を感じてきたのは、数万円もする携帯を、1年やそこらで機種変するのが当然とされてきた文化でした。さすがにここ数年は、割賦契約が浸透して買い換えサイクルは長くなりましたが、それでも、2年間で買い換える必要があるのか、と問われれば「?」としか思えないのです。
「本当にその新しい機能は、必要ですか?」
と真剣に考えてみれば、今のケータイはもはや必要十分、いや必要以上に充実していると言えます。壊れでもしなければ、買い換えの必要を全く感じない。これは、多くの人の実感ではないでしょうか。
「もう新しい機種、新しい機能はいりません」
これが消費者のメッセージです。折しも4月の携帯の販売台数が前年比41.9%減というニュースも入ってきました。経済危機の影響を差し引いても、莫大な減少幅です。市場の半分近くが消え失せたのですから。
そんななかで、この記事。要約するなら
「これまで日本(世界)のモノづくりは、計画的に前モデルにダメ出しすること(陳腐化すること)で新しい機種を買わせてきたが、それがもう行き詰まっている」
という話しです。これはつまり「過去を否定することによってのみ未来がある」という発想です。私がこの考え方に違和感を感じたのは、小泉政権時代、竹中平蔵経財相が説いた「経済成長によって財政健全化をはかる」という考え方に基づく「経済成長至上主義」でした。
私は「それで果たしてうまくいくのかな?」と直感で思ったものです。同時に「成長しないという選択肢はないものか」と思ったものです。「現状維持、もしくは生活の質を多少落としても構わない、そういう視点が日本人に欲しい」と、私は小泉時代の間中、思ってきました。日本の政治に決定的に欠けているのは、この考え方ではないかと思うのです。
「経済成長は良いことであっても決して悪いことではない」
多くの人は、こう考えています。でも、果たして本当でしょうか? その「成長」というのは「誰も欲しくもない新機種を買わされる」ということによって初めて成り立つものではないでしょうか? もしそうなら、そんな「成長」は必要ないと思うのです。
そこで iPhone を生み出したアップルの考え方です。
数年前に出た機種を、ソフトウェアのアップデートで最新鋭の機種とほぼ同等にできる。これは画期的なことです。この場合、古い機種をサポートするためのコストが必要ですが、それは AppStore というオンラインのソフトウェア売り場から収益を上げることで可能になっています。つまり、アップルはもはや、携帯電話機という「モノ」から収益を上げるエコシステムをとうの昔に放棄し、ソフトウェアの売り上げによって収益を上げる方法に切り替えている、ということです。
これを可能にしたのがアップルの柔軟性であり、また同時に日本の携帯電話メーカーの硬直性をも表すものです。日本では未だに、機能だけはやたらと多いが使いこなすのも一苦労、一度買ったらそれでおしまい二度とバージョンアップなどされない、おまけに機種変すれば一から覚え直し。そういう携帯だらけです。しかも、毎年2,3回、ワンパターンの「新機種発表会」。無理矢理機能追加して「新しさ」をアピールし、新たに数万円もの割賦契約をさせようと目論む携帯電話会社。
もう、ここら辺で潮時ではないでしょうか。ハードで稼ぐ時代は終わりです。自動車でさえも、電気自動車の時代になれば、日本メーカーの優位性は吹き飛ぶとも言われています。消費者は馬鹿ではありません。「いらないものはいらない、いいものはずっと使う」。そういう時代になってきているのです。
計画的陳腐化のエコシステムは、もう終わり。そういう時代が来ていると思います。いや、もう数年前から、雪崩を打ったようにそういう時代になっているとさえ、私は思います。
これからは「もっと良いものをの一点張り」では、世の中が成り立たないのです。そうではなく、「あるものに満足する生き方」を求めていく必要があります。そしてそれこそがはキリストの願われる生き方なのです。
もちろん「それじゃあ資源もない日本はどうやって食べていくのだ」という考え方が出るのは承知しています。私は「何も買うな」と言っているのではありません。ただ、身の丈にあった暮らし方を一人一人が模索し、現状に満ち足りて歩むことが必要だと考えるのです。必要以上に豊かな暮らしを追い求めるがために、必要以上に働かされ、必要以上に新機種を買わされている。そういう事はないのか。それで果たして良いのか。それで本当に幸福だと言えるのか。そういう問題提起をしたいのです。
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コメント
確かに、日本人は「良いもの」という言葉が好きですね。私は今の洗濯機は、以前かどっちさんに付き合っていただいて買いにいった韓国製の中古をまだ使っていますし、炊飯器は昨年まで11年間使ったものを手放し、1.6万円のものです。
そういう白家電のみならず、クルマやバイク、パソコンなどでも「ホンモノ志向」というのが日本人はやや好きであるように思います。何故トヨタやホンダが米国であれだけブームになったかと言えば、彼らにしたら、以前はそれらのブランドは「安物」で、本物はポルシェやベンツ、GMだったわけですが、「安物でも壊れない」という定評が付いたからでしょう。いわゆる「安物指向」です。
確かに、俗に言われる「良いもの」を買ったところで、生活が変わるのか、と言われればそうでもないと思います。10万円の炊飯器を買って、多少美味いご飯を食べたところで、神様を知らない生活など心が寂しいものですし、家族喧嘩ばっかりしていたら意味がないです。TVCMなどでは格好良いことを言っていますが、実際高価な金額を注ぎ込んだことによって、心が裕福になる、というイメージがわかないのです。それが日本の弱点といえるかと思います。
私は「携帯はあくまで電話機」といいましたが、そうなのです。家にある電話機プラスα程度のものだとしか思っていません。ただ携帯は家の電話と違い、持ち歩くので、デザインはあまり格好悪いものは持ち歩きたくないだけです。携帯のOSは酷いと思いますが、兄のiPhoneの現物を見た結論として、拡張性は私にはイラン、電話機はあくまで電話機であれ、と思ったので、少なくとも今回の機種変は普通の電話機にしました(笑)。
若年層の携帯依存ですが、私も同感です。ただ、ものに捕らわれているわけではないかなぁ、とは思います。昔はテレビという単方向型のメディアで満足していたのが、今は心の時代ですから、友人や恋人との関係を確認し合うため、双方向型のメディアでないと寂しいのかも知れません。いわば、一方的なテレビでは満足できなくなったというか、文通ファンが異様に増えたというか(^^; )。
それとて、ここ5年くらいの機種であれば何の問題も無くできるわけでして、1~2年で買い換え、というのは、やはりあまりダサイ携帯を持っていて友人にバカにされたくない、という当たりの心理が働いているものと思われます。
あくまで「身の丈程度の消費」ですよね。それは私も胸に手を当てて考えなければならないことですが、ちょっとした差別化のためだけの、高価な機種変は、私も賛同いたしかねます。皆が皆そうなれば、日本も少しは変わると思うのですが…。
>よっしーさん
「ターゲットになっているのは高校生、大学生、20代の若者などであり、彼らがいい食い物にされている」
というご指摘はさすが鋭いですね。まさに私もそう思います。実際、先日もアンケート調査を見ましたが、20~30代はテレビを見る時間は数年前(だったかな?)より30%も減って、代わりに携帯でネットにつなぐ時間が増えているようですよ。つまり、それだけ携帯にお金を吸い取られているということですよね。
今の高校生は、小遣いのほとんどを携帯代に奪われているのが、見ていて可哀想に思うくらいですね。
こんなところにも、モノに心を奪われ、必要以上に「つながり」を求めてしまう心の貧しさが表れているように思いました。
>ミスターSSSさん
「デザインで買い換える」というのは、まさにこれからの時代のあり方だと思いますね。アップル製品は中身をばらすと全然大したことのない台湾製だったりするのですが、外側から見るとモノとしての「まとまり」が素晴らしく見えますからね。見せ方がうまい、と思います。
反対に、日本企業は「見えない所を見てくれい」と職人気質全開で、肝心の外側とかUIは「外面だけ良くしてどうする」などと言って軽視しますよね。だからどれを見ても同じ。
日本以外の国にそういう職人芸的な技術がない時代はそれでもよかったかもしれませんが、もはやそういう時代ではない。中国でも一定水準の製品はできてしまう。そして、そのレベルで庶民には「必要十分」なんですよね。メーカーもそれに気づいているくせに、「高付加価値商品」などといって、例えば10万円もする炊飯器を売り出す。消費者もそれにすぐつられるので大ヒットする。日本だけじゃないでしょうか、炊飯器に10万円出す国は。
「モノを出す」ことばかりにかまけて、「じゃあ、それを使うと人生がどう豊かになるの?」というプレゼンテーションは極めて不得意なのが日本の企業だと思います。国民性でしょうかね? アップルはその点、実に巧みだなぁ、と思うのです。
ミスターSSSさんの新しい携帯も、機能的には素晴らしいと思うのですが、私的には「OSがオープンでない」ということが残念な限りです。ソフトウェアの拡張性がない携帯は廃れていく運命にあると思うのですがいかがでしょう。
とは言っても、私もあと半年で2年縛りが解けるのですが、そこで iPhone に機種変するかどうかは微妙です。携帯に5,000円出す必要性を、全く感じないので・・
経済倫理に少し関心があるので興味深い記事でした。
箴言30章8〜9節のみことばの重要さを思わされます。
ちなみに、私はauの無料の携帯を2年以上使っています。
まだ買い替える気はありません(笑)
携帯市場で思うことは、ターゲットになっているのは、高校生、大学生、20代の若者などではないですか。新しい機種にすぐに飛びついて行くのはこうした層ですから。実際、コマーシャルも若者向けですよね。悪く言えば、彼らがいい食い物にされていると感じます。
私は先月下旬に携帯を買い換えたばかりです。それもauでもっとも高価な機種にです。私にとって必要なのは機能でもステータス性でもなく、デザインのみでした。デザインが気に入ったので高いカネを払いました。
デザインだけでも、買い換える立派な理由になります。皆が皆、新機能や機能的排他性で買い換えをしているわけではなく、デザインで選んでいるユーザーもいます。そういう、かどっちさんとはまた違った観点から見ても、最近の携帯のデザインが真面目にされているとは思えません。パッと見新しそう、言い換えれば学校の友達に見せたら最初だけ、やや自慢が出来そう、というレベルが多く、それにたくさんのシールやビーズを貼ったり、派手なストラップで芸能人の真似をしているだけであるようにしか見えません。
私は携帯はたかが携帯、所詮は「電話機」なんだから、スマートフォンのような機能性能はいらないと思っています。ですのでiPhoneは検討すらしませんでした。
しかし「真面目な電話機」は欲しいと思います。
デザインが真面目であり、優れた通話機能、最低限のメールやカメラ機能は欲しいです。Bluetoothのような、今すぐにでも自分に関係のある真面目な機能もぜひ欲しいです。
10年以上前は、PHSの端末が0円とか、機種変しても100円なんていう時代がありましたが、そういう時期の端末は粗製濫造的な性能だったのは否めません。それに比べると今は、おっしゃる通り割賦等の縛りで、そう簡単に機種変更はできないのですから(ある意味正常な市場原理に戻ったと言えます)、2~3年、3~4年くらいは、飽きずに壊れず、基本性能は陳腐化しない端末が求められますね。それこそまさに「ハードウエアで儲けない商売」とも言えるかと思います。
仮に1万円の機種を1年で変更しているなら、4万円の機種を4年で変更できるようにならないか、それくらい携帯が能力・デザインとも陳腐化しなければいいが、という考えが私の中にあります。それを今回、auのS001という機種に賭けてみたかったのですが。