世界規模の大戦争は見られなくなり、平和な世界になったかに見える日本社会ですが、世界を見渡せば、民族紛争や局地戦は至る所で起こっている現実に気づきます。そしてそれ以上に、「戦争のあり方」がここ10年で激変していることが分かってきます。今回紹介する「ドローン情報戦」は、そのような認識の変化を与えてくれる書物と言えます。そしてその中心は、タイトルにもなっているように「ドローン」です。
ドローンとは元々、ミツバチが飛んでくる時の「ブーン」という音のことを現します。目では見えない/または見えにくいのだが、音で存在が分かる。そこから、遠隔操作で無人の小型飛行機のことを「ドローン」と呼ぶようになりました。アメリカ軍は、人的被害を出さずに済むことから、このドローンの運用に非常に熱心であり、RQ-1プレデターや、MQ-9リーパーといった武装したドローンを大量に運用していることで知られています。これらのドローンは「小型」といっても、翼端20mもある大型のものですが、高度数千メートルという高空を飛ぶために、地上にいる殆どの人は気づきません。(私たちも、音がしなければ、普段空を見上げる機会が一日にどれくらいあるでしょうか。たぶん、数回でしょう)。つまり、完璧な隠密攻撃ができる、ということです。ミサイルで撃たれた側は、撃たれて初めて自分が攻撃されたことに気づく、という有様です。まさに恐るべき兵器と言えましょう。
本書は、このようなドローンの舞台をイラクにおいて多数運用し、実際に多くの「敵」を排除してきた現場の指揮官によって記されたものです。まえがきにあるように、国防総省の厳密なチェックを通って出版されたものですから、いわゆる「暴露本」とは全く違います。しかしそれでも、本書を読み進めるとき、息を呑むような感覚を覚えるのです。何時間も、時には数日間も起き続けて、ターゲットとなった人物をドローンのカメラで「見続け」、相手の私生活や出会った人物、家族構成、仕事、趣味など、ありとあらゆる情報を蓄積していく「執念」には、驚嘆を覚えるほどです。「自分はターゲットについて、世界中の誰よりも良く知っている」と思えるまでになるほど、調べ上げるのだそうです。
なぜそこまで調べるかと言えば、「誤爆を避けるため」。この一点に尽きると言えましょう。マスメディアでは、民間人や無関係の人物がミサイル攻撃に巻き込まれた場合、センセーショナルに報じます。その結果、作戦の遂行が困難になる場合が多くなってしまいます。ですから細心の注意を払って、「本当の悪人」だけを攻撃するのだということです。
もちろんこの「本当の悪人」というのは、アメリカから見てそう映る、という意味であって、普遍的な意味での「悪」でないことは明白です。但し、本書を読むと、少なくとも「アメリカが自国に都合の悪い人物を片っ端から消している」という印象は多少なりとも薄れます。情報収集に途方もない時間を費やしていることが分かるからです。
ただ、当然ながら、そのような長時間に渡る情報収集は、それに従事する者の神経を蝕んでいきます。本書を読むと、著者はまさにそのような極限環境に置かれ、精神を少しずつ病んでいくのが良く分かります。そんな彼らを駆り立てているのは、「自分たちは世界を少しでも良くしているのだ」という、強烈なまでの「使命感」です。この使命感があるからこそ、彼らはこの過酷な作戦に従事できるのだと思うのです。そうでなければ、到底できないでしょう。
ですから本書を読むと、「本当の悪人」と見なした相手に対しては、容赦の無い批判の言葉が繰り広げられます。そうでもしなければ、モニター画面上でミサイルが爆発し、家や車が吹き飛ぶ様子を見続けることは、メンタル的に難しいでしょう。ですから彼らは「自分のしていることは、正義なのだ」という確信を持てるまでは、決して攻撃をしないのです。そうでないと、良心の呵責に耐えられなくなるからです。
もちろん、彼らの言う「正義」は独善的なものではないか、と憤慨する人もいるでしょう。現に私も、そういう感情を抱かなかったかと言えば嘘になります。しかし、少なくとも彼らは「好戦的な殺人マシーン」などではなく、悩み、苦しみ、疲労困憊し、倒れ、もがきながらモニターに向かう、現実の人間であることは確かです。
本書はそのような、生身の人間の葛藤を赤裸々に描き出すことに成功しています。私たちが生きている世界の裏側で、今日もこのような戦いが繰り広げられているかと思うと、暗鬱とさせられる思いがします。しかしそれでも、私たちは、このような世界があるのだということは、知っておかなければならないと思うのです。
その意味で、本書は一級の価値を持つ書物だ、と思わされた次第でした。
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