サッカーへの想い

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久々の更新ですが、今日はサッカー話です。知っている方は知っていると思いますが、私はサッカーファンです(笑)。

私の小学生時代はちょうど、あの「キャプテン翼」全盛時代。そして、現在30代以上のサッカーファンならば必ず見たはずの「マラドーナ」の全盛期に当たります。日本中にサッカー少年団が雨後の竹の子のようにできまくり、かくいう私の実家がある団地にも「毛利台FC」というクラブができ、私はできて間もないチームの一員となりました。(ちなみに”FC”とは、Football Clubの略です)。

とはいうものの私は技術的にははっきりいって「ヘタ」であり、リフティングも多くて30回くらいしかできず、それも右足のみ。左足は「つっかえ棒」といった風でした。それでも私は、「お前にはガッツがある」とコーチから言われ、3~4年生くらいまではレギュラーで試合に出ていました。ここで言う「ガッツ」とは、つまりは「当たりが強い」ということです。私はそれほど大きな身体でもなく、技術も無かったのですが、唯一、相手のプレイヤーに当たり負けしたことは滅多にありませんでした。

というのは、当時、私の頭の中にあったのは、「サッカーは格闘技だ!」というフレーズだったからです。現代では信じがたいことですが、当時私が買って貰ったサッカーの教本には、まさにそう書いてあったのです。(ちなみにその本は往年の名選手・杉山隆一氏が書いたものでした)。その本は、技術的なことはもちろんしっかり書いてありましたが、私の目に止まったのは、「ショルダーチャージ」とか「スライディングタックル」のやり方についてでした。私はそこを熟読し、「反則を取られないで相手を跳ね返してボールを奪うにはどうすべきか」を学んだのです。それは私の闘争本能をかき立てるものでした(笑)。

もう一つ私が好きだった事があります。それは「スルーパスを出すこと」でした。 私は、どちらかといえば、ゴールを奪うよりも味方にゴールを取らせることが好きでした。「いかにして相手のいないところにキラーパスを出すか」。そんなことばかり考えて、フィールドを走り回っていました。ですから、正確なパスを出すために必要なサイドキックは結構練習しました。ところが、ミドルシュートを打つために絶対必要なインステップキックは、はっきり言って苦手でした。だから今でもシュートがヘタなのです(笑)。

こんな私に向いたポジションというのは、今で言うならばまさに「ボランチ」なのでしょう。

けれども、私がサッカーを始めた当時は、ボランチなどと言う言葉は聞いたこともありませんでした。当時はまだ、「キーパー、スイーパー、バック、ハーフ、フォワード」と後ろから順に呼んでおり、中でも「センターフォワード」は花形で、「ウィング」は足の速いヤツ。「ハーフ」はかき回し役で、「バック」はひたすら守る。そして「スイーパー」は大魔神のごとくキーパーの前で立ちはだかる。

そういうイメージでした。今でこそ「システム」なんて言葉があって、やれ3-5-2だ、いや4-4-2だなんて言っていますが、当時はそんな言葉は誰も知りません。まぁ、あえて言うなら、「1-3-3-3」だったんだと思います。極めてシンプルですが、中盤は薄いので、足の速くて上手いヤツがいると簡単に真ん中を切り裂かれる。そういうシステムでした。

今思うと、のどかな時代だったなぁ、と思います。戦術とか、システムとか、七面倒くさいことは省いて、ただひたすら走りって上がり、パスを出し、パスを受けてシュートする。敵に取られたら全力で戻り、体当たりし(おいおい)、スライディングして奪い取ってまた味方にパスを出す。そんな、単純なゲームでした。

でも、楽しかったですよ。抜けるような青空の下で、「あー、走ってるな~俺」というあの感じがたまらない。ハーフタイムに飲む水の旨いことうまいこと。一日中履いたスパイクを脱いだ時の足裏の開放感(笑)。そして靴下のニオイ。 GP(Goal Plunders)という強豪チームに0-9で負けた時の悔しさ。市内大会でベスト8くらいまで行った時の嬉しさ。

すべてが良い思い出です。

残念ながら、日曜日に試合があったため、次第に私は教会を優先するようになり、練習からも遠ざかっていき、6年の半ばにはそのクラブを辞めてしまいました。「クリスチャンホームと部活」という永遠につきない関係が、ここにもありました。

私にとっては、あれくらいで良かったんだと思います。今でもサッカーを愛していますし。福音自由の牧師会に行った時も、若手の先生方とサッカーをやっています。教会では青年達とサッカー談義に花が咲きます。よい経験をさせてもらったと思います。

・・・ここまで書いてきたことは、以下の記事を読んでいて、頭の中にバーッと浮かんできたことなんです。「そうだよ、楽しくなければサッカーじゃないよな!」。それを思い出したのです。

ACLの戦いから浮かぶ日本サッカー共通の「弱点」 :日本経済新聞

今の子供達は、小さい時からシステムだの何だの、複雑なことを教えられすぎていて、原点を忘れているように感じていたことも、この記事に共感した理由です。

これからも私のサッカー好きは決して止みそうにありません。
なかなかプレイする機会が無いのだけが残念です。
仙台でクリスチャンのフットサルクラブとか、ないかな~

コメント

  1. モーテンの息子 より:

    サッカー少年だったのね!
    青空に赤いサッカー用靴下に黒のスパイク…っていうのはなんだか覚えているよ。こっちではHallurに感化されて、私もすっかりサッカーを愛する主婦となってしまいました。!”サッカーは格闘技だ”かぁ、、、なかなか好きなことばです。なんかシンプルで、今のサッカー界にうずまくお金とか一切置いて力で闘う感じが伝わります。
    それにしても、今の私にはなんていっても”Arsenal”、あの攻撃だけが上手くって、でも精神的にはあんまり強くないこのチーム、大好きです。Wenger監督のあのフランスなまりの英語といい、頑固にも選手をなかなか変えないところとか、…あのこだわりもいい感じです。
    いよいよプレミアリーグも終盤、ますます応援に熱も入りそうかな。
    仙台でもぜひフットサル試みたら!?