今日の朝日新聞朝刊に「近隣外交を問う~靖国問題を聞く(上)」という記事が掲載されたが、
とても興味深く読んだ。(申し訳ないがウェブには掲載されていないようだ)
作家の堺屋太一氏は、「靖国神社は宗教法人だ。日本国憲法は、国家が宗教に関与することを禁じている。従って、
靖国神社に参拝するときは、誰もが私人に戻るはずだ。小泉首相とて例外ではない」と冒頭で原則論を明確に述べる。
私人には信教の自由が認められているのだから、小泉首相は参拝の際公用車を使わずタクシーに乗るべきだ言う。さらに、
神道の教義では地獄が無く、悪人も善人も死ねばみな神になる、良い神に対しては祈り、悪い神に対しては祟りがないよう祀る、
という神道の基本教理を述べる。そのうえで彼は、北京大学の学生に経済学を教えた際、靖国問題について質問を受けたとき、
神道の考え方を明確に説明したところ「わかった」という返事を受けたという。学生たちは、
「日本政府がこれまで神道の論理や教義について十分な説明をしていないと感じた」そうである。
つまり、氏が言いたいのは「首相の説明責任」ということであろう。それほどに参拝にこだわるのならば、
自らが信じるところを明確に、自分の言葉で語るべきだ、という主張には私も賛成である。リーダーたる者は、
自分のムラだけを見ていてはならないのである。説明責任を放棄し、お得意の紋切り型の「私は自分の信念を貫く。中韓の主張は内政干渉だ」
と言うだけでは、誰もわかってくれないだろう。
私はここに小泉首相の人格的問題があるように思う。彼は自分のイエスマンとしか交際しないタイプの人間だろう。考え方の違う人、
自分に反対する人に対して忍耐を持ってつきあい、ねばり強く語っていくというリーダーとしての資質が欠けているのだ。
「オレには俺の理屈がある。それをわからないオマエが悪い」というだけなのだ。
これではまるでジャイアンである。のび太の気持ちなど全くお構いなしなのである。
但し、私はあえてまだジャイアンの方がマシだと言いたい。ジャイアンはガキ大将だが、情がある。いざというときに、
のび太を守ることもできるのである。小泉首相はどうだろうか。ジャイアンのように、時にはのび太を思いやる優しさを、
果たして持っているのだろうか。私は持っていないと思うのである・・・。
最後に堺屋氏の言葉を引用したい。「自民党総裁選で公約して以来、参拝にこだわってきたのは小泉首相自身なのだから、
靖国問題を政治ではなく宗教の問題としてとらえ、靖国神社をどう解釈しているのかを自ら説明して、
近隣諸国の理解を得る努力をするべきだ。それは官僚任せから脱却し、戦略を持つ外交を取り戻す第一歩にもなる。」
さて、もう一人の論者であるテッサ・モーリス・スズキ氏の意見の紹介は、次に回すことにしたい。