「情」を第一にする政治はいらない

この記事は約3分で読めます。

民主党の代表選挙ほど、私たち一般人の感覚と乖離しているものも、無いのではないかと思う今日この頃ですが、とりわけ以下の記事には衝撃を受けました。

鳩山氏「ボクはなんだったんでしょう」 [YOMIURI ONLINE]

「ボクはいったい、何だったんでしょうね」という鳩山氏の発言には、驚きを通り越して、嘆きとあきれる思いしか湧いてきません。 要するに彼は、「自分が一体何をしているのか自分でも理解していない」、ということを自ら暴露しているのです。

昨年の衆議院選挙以来、国民は、氏の様々な発言に翻弄されてきたわけですが、なぜ彼がそのような発言をするのか、その原因がようやく分かった気がします。要するに、組織の中での自分の立ち位置と、今自分に何が求められていて、何が求められていないのかを大局的に見極める能力がない、ということなのです。

私は当初、鳩山氏の経歴を見るにつけ、ある種の期待を持っていました。それは彼が、これまでの総理大臣には殆ど見られなかった、理系的素地、つまり論理的思考を優先する思考パターンを身につけていると考えたが故です。 これまでの総理大臣経験者は、論理的思考と言うよりはむしろ、「情」を第一に考える人物ばかりであり、その目線は対局というよりむしろ目先の事ばかりでした。 ある意味は、それが「自民党的政治」の典型例であり、昨年の衆院選で民意が拒否したのも、そういう政治手法についてだったと私は理解しています。

ところが、いざ開けてみると鳩山氏は、予想とは反対に、「情」を第一優先した政治を展開しました。 今にして思えば、そもそも「友愛」という曖昧模糊とした思想を掲げた時点で悟るべきでしたが、鳩山氏は、自民党的政治よりもさらに「情」にシフトした政治を展開しました。 その結果は私たち皆が知るとおりです。

そもそも「情」というものは、私たちがそれぞれ我が身を振り返れば分かるとおり、実体のない、すぐに移り変わるものです。そういうものを中心に据えようとすれば、必然的にその結末も風のような実体のないもの、になるのは目に見えています。それが最も鮮やかな形で現れたのが、今回の民主党代表選における、カメレオンのような氏の変節振りだったと思います。

「管氏支持」を打ち出した数日後には、「盟友の小沢氏を支持するのは当然」と全く正反対の事を平然と言ってのける神経は、私たちの想像を超えたことです。しかし彼にはそれが矛盾なくできてしまう。なぜでしょうか。氏の中で「情」が何も増して第一のファクターを占めているから、に他ならないからです。「情」の前では、民意も論理も全て吹き飛んでしまう。それが彼の中の優先順位であり、彼の美学だということです。

そう考えると、冒頭の記事をよんで私たちが氏に感じる「違和感」が説明できるように思います。つまり、鳩山氏は、「私は自分の中で最高の美徳と考えている『情』に従って行動した。にも関わらずうまくいかず、世論からは批判を受ける。どうしてこんな事になるのだろううか」。そう考えているのだろう、ということです。氏の中では、「情」こそが究極の価値であると同時に、「世の中にはそうではない人が多数いるであろう可能性には気づかない」、のです。だから「KY=空気が読めない」となる。これこそ氏の抱える問題の核心だと私は思います。

思うに、このような、一見すると他者に対して寛容そうに見えながら、実は、自分と異なる考えの人の存在に思いが至らない、あるいはその意をくめない、というタイプの人は、日本人には結構多いのではないかと思います。こう言う人は、表舞台に立たない方が、本人も幸せでいられると思います。表舞台に立つ、ということは空気を読むということであり、他者の考えに寄り添うことを求められるからです。 その意味では、政治家になるべきではない人、間違っても総理大臣になどなるべきでなかった人が、いきがかり上なってしまった。それが彼をとりまく悲劇であったのだろうと思います。

いずれにしても、私はもう個人的な「情」を第一にする政治は見たくありません。
それがいかに大きな混乱をもたらすか、私たちはこの一年で十分学習したと思います。

管氏はその点、これまでのところに限れば、筋を通そうとしている様に見えます。
願わくば、最後の所で「情」に流されないよう、切に願います

コメント

  1. ミスターSSS より:

     レベルは違う話ですが、私がいつもラジオを聴いている番組の「ロジャー大葉さん」という方も、有名人にしては信じられないほど情に流されやすい人です。
     まかりなりにも、福島から山形まで電波が飛ぶラジオ番組、しかも「ロジャー大葉のラジオな気分」なんていうタイトルを持っている彼が、情に流されやすい…。
     相当気苦労しているのを感じます。自分の名前が入った番組というのは、いわば番組の「主」なので、一番ニュートラルでいなければならないのに、彼は良い意味で低姿勢で情に厚い。見た目か人柄か、なんとか「高聴視率番組」にはなっていますが、個人的に話すと彼は相当苦労しています。
     やはり「表舞台」に立つ人は、ある意味やや冷淡なくらいの方が、おっしゃるようにご本人が楽かなぁ、と感じています。
     ちなみにロジャー大葉さんは、今回の民主党の権に関しては、「何故こんな風になったのかを、地元選出議員が地元に説明する義務がある。地元選出議員が自分の考えを語らないのはおかしい」と番組で激怒していました。
     そうやって番組で、自分の「情」を語るのが、まさにロジャー大葉さんの短所と言えるでしょう。