共同通信が、自民党の改憲案について以下のようなニュースを伝えました。
自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ – 47NEWS(よんななニュース)
直接的に「徴兵制」という言葉が入っているわけではありませんが、論点整理の部分で「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係について、 さらに詰めた検討を行う必要がある」との表現が盛り込まれているそうです。これだけをもってすぐに徴兵制とイコールとみなす必要は無いかと思いますが、すぐではなくとも10~20年後にどうなっているかとなると、「可能性はある」と自民党は見ていることになります。
お隣韓国は、今でも徴兵制を敷いているのは周知の事実ですが、それは、休戦状態にあるとはいえ、あの北朝鮮軍と常に対峙し、いつ地上戦が始まるかもわからないという特殊事情からです。そのような差し迫った危機のないこの日本で、いったい何のために「国民を強制的に軍隊に入れる」必要があるのか、全く分かりません。
それでも、もし百歩譲って、国際的な危機があるとしたとしても、忘れてはならないことがあります。それは、「このようなことを考える政治家には徴兵義務は及ばない」ということです。もっとも影響を受けるのは、常に「権力も財力も何も持っていない若者」なのです。権力を持った者は机の上であれこれと議論し、採決し、そしてサインします。いざ戦争が始まったとき、彼らは1メートルたりとも戦場に近づきはしません。彼らの命令によって血で血を洗う最前線に送り込まれるのは、いつの時代も、平時であれば国の将来を担うはずの若者たちです。政治家は、生きるか死ぬかの恐怖を味わうことは決してありません。安全な隠れ家に隠れて、電波で命令を下しながら若者を死地に追いやるだけです。「戦争になったとたん命の価値に差がつく」のです。こんなことは、もう二度とあってはなりません。
私たちの国は、もういやというほどそのような痛みを味わってきました。それでも学習しない人たちがいます。そういう人たちこそが「徴兵制復活」なるものを検討するのです。彼らはまた「自虐史観」なる概念を持ち出して、それを声高に批判します。しかし、そういう彼らに限って「歴史の現実」は知らないのです。一日でも最前線にでるならば、そういう人たちの考え方は、永遠に変わることでしょう。
私はロッキード事件の年に生まれましたから、もちろん実体験としての戦争は知りません。しかし、戦争の悲惨さについては、一生懸命学んで来たつもりです。人間の罪がいかに深いのか。とりわけ後方に陣取る者のエゴが、いかに簡単に無数のいのちを奪うものなのか。そういうことを見てきました。戦争映画も積極的に見てきました。そして、「もし自分がこの塹壕にいたらどう思うだろうか」と、想像力を巡らして考えました。
その結果たどりついた結論は「たとえいかなる理由であれ、戦争はあってはならない」という単純な原則です。
日本が愚かな戦争に踏み出してから、68年が経ちました。いま、また戦争の愚を知らぬ、愚かな政治家が出てきています。彼らの姿を、注意深く見つめておかなければなりません。
歴史から学ばない者は、かならず滅びていくのですから。
<追記>
産経新聞のサイトに、改憲案の骨子 が出ていました。
なんだか時代が100年ほど遡った印象で、あきれ果ててしまいました。
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