気がつけば3ヶ月近くもブログを更新しないまま、こんな時期になってしまいました。この3ヶ月は本当に忙しい日々でした。
6月下旬に広島でのインターン研修を終えて仙台に戻り、すぐに夏季集中英会話教室の準備をしながら、ほぼ毎週の説教準備。
夏は2回のキャンプに加えて、結婚式に向けた準備。毎日が「走っている」という印象でした。
しかし、とても充実感を味わっています。神学校時代も忙しさにかけてはかなりのものでしたが、やはりどこかに「まだ神学生なんだから」
という甘えというか、緊張感の無さがありました。実際の現場に出ると、自分の歩みが日々、教会の方々の目に映ります。生活全体が、
神様をあかしするためのものとなるのです。これは、緊張はしますが、やりがいを感じる歩みです。
そして、「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
(マタイ6:34)というみことばを実感する日々を過ごしながら、いよいよ独身最後の1週間を迎えました。
正直なところ、実感が湧きません。結婚式の準備は着々と進み、生活用品は徐々に揃えられ、数々の本を読んで学び、
多くの人々のアドバイスを受け、また婚約者と電話などで語り合う日々。そういった意味では、すでに私の中で「結婚」
は充分に現実化しています。しかし、神様が定められた愛の秩序という意味での結婚は、私の中で依然未知のものです。
それは経験しなければ分からない世界なのでしょう。
そしてまた、これまでの私たち二人の歩みも、そうでした。あるのはただ「神様が導いて下さっている」という揺るぎない平安だけ。
自分を偽ったり、ムリをしたり、自分に嘘をついたり。そういった「無理」をせずに、自然と今日に至っています。余りにも自然すぎる日々。
それが、「実感が湧かない」ことの理由なのでしょう。良い意味で淡々としている、とも言えるかも知れません。
この1週間、まだまだやらなければならない準備が、たくさんあります。独身者として過ごす最後の1週間ですが、
さらに神様が備えて下さることを期待しています。
コメント
コメントを下さった皆さん!
お返事が遅くなりすみません。
無事に結婚式が終わりました。
新生活が始まって1週間。いろいろやることが沢山ありますが、
楽しくやっています。(^。^)
もう少し落ち着いたら、いろいろお便りなどもできるかと思います。
それまで、応援くださいましたら感謝です。
感謝しつつ。
結婚おめでとう。写真を取りながら、頭の中にイメージが湧いてきましたので、シンプルなHPを作りました。メールを下さったら、リンクを教えます。あとで公開したいとおもったら、友人やご家族の皆さんにリンクを伝えて下さい。Tim P.S. 教会のHPの連絡フォームは正しく動きませんので、ブログをとして連絡しました。
ご結婚おめでとうございます。 そしてお誕生日も。
復活のイエスさま 今も生きておられる神様が信愛希先生を豊かに祝福されておられる事が映像を拝見するように見えます。
目に見えない準備もありお忙しい事とは思いますがこれも人生の記録の一こまです。 信じて已まない信仰のうちを 神様の言葉に表せないほどの深い愛の中 希望にあふれる人生の旅立ちをお祈りいたしております。 それにしてもお名前を覚えるたびにお父様お母様の深い深い信仰を感じます。 おめでとうございます。
お久しぶりです!
珍しく更新されてたのでコメントしてみました☆
あと1週間で門谷さんも結婚…。
神学校時代のお友達(と呼ぶのも失礼かもしれませんが)がどんどん結婚されていくのを見ると、
何だかなんともいえない気持ちと私もいつか結婚するのだろうなという気持ちでいっぱいになります。
わたしは「実感が湧かない」という気持ちになるときは、
これまで万全すぎるほど準備を整えて来た上で予定が滞りなく進んでいるときによく感じます。
比べるのも失礼ですが、学校でテストを受けるとき、これでもかと言うくらい準備をしておいていい点が取れるとそういう気持ちになることが多い気がします。
門谷さんを見て、私も結婚するときは、一時の気の迷いだとか熱に浮かされてなどではなく、信仰的にも精神的にも社会的にも準備を整えてから望んでいきたいと心から思いました。
金銭面などの都合で私は結婚式を見にいけなくなってしまいましたが、
当日もこれからも守られますようお祈りしています!
どうも、こんな土曜日の夜にミクシーを見ているということは・・・ちょっとした気晴らしですね!
結婚の準備進んでいるのですね、その備えがどうか豊かなるものとなりますように!
この間、しのさんと東京でお会いしました、変わらぬ明るさがとても素敵でしたよー、またイギリスに戻ってからも旦那さんと二人三脚で頑張ってください!とお伝えください。
独身の私ですが、その心境は少し分かるような気もします。
先日私がお見合いをした、という話はしましたが、そのとき、全くリアリティが無かったことが、逆に強い記憶として残っています。
「これから会う人は、もしかしたら一生を共にするかもしれない」という状態でも、会う前の晩も、半日前も、1時間前も、1分前も・・・ハラハラもドキドキもしなかったし、期待とか不安とか、何も感じませんでした。聖書(詩篇)だけぺらぺらめくって・・・。私は高校生のころは、合コンでさえ、1週間前から不眠になったり、気になっている女の子に公衆電話から電話(自分の家族に聞かれたくないので、地下鉄のホームで10円玉を10枚くらい握って公衆電話だったんです)するだけで赤面して、手足がしびれたりしたものですが、お見合いの前後のときの記憶が、今でも薄いんです。
私の場合、入試や入社面接、クルマを買い換える時の納車直前の方が、よほど「ワクワク」「ハラハラ」していたと思います。
結局、お見合いの後も何も感じない状態が10日くらい続いたとき、相手の方が余り神様を信じていないという風の噂を聞いた段階で、私の結論は明らかに出ました。正直楽になりました。その風の噂を口実に断れる、もうその件については御心を求めなくていい、なんて思ったら、自らの不信仰に呆れながら、むしろ嬉しくなったものです。
私は本当に不信仰なんでしょうね。そういう話があると無意識に構えて、無意識に警戒して、無意識に心を閉じるのだと思います。例えば「経済的不安」とか「趣味や遊びにお金を使いたい気持ち」なんていう、本来考えなくてもいい、現実的なことを(御心を)「求めず」「聞かず」「知ろうとせず」、(ここが一番問題)「考えて」、殻に閉じこもっているのかもしれません。
この世的には、今回みたいに、様相と性格がさして悪そうでもなく、年齢や居住地などの条件がある程度整ったら、あとは「イケイケドンドン」みたいな乗りがあるんでしょうけど。いわゆる、「笑点」で最近、独身をギャグにしている何とかという落語家とか、桂三枝とやらの「新婚さんいらっしゃい!」の、のろけ話のような展開になっていくのが普通なのかも知れませんが・・・。
あるいは私が身体的問題で(詳しくは知りませんが、男性ホルモンとか、生殖機能とか)、異性に対しての関心が全くなくなった危険性も否定できません。そう感じてしまうほど、全く無感動・無関心でした。
もちろん、貴方の結婚1週間前と、私のそもそも有り得なかった結婚話とは、重みはまるで違います。しかし、私もここ最近「一日一章」ならぬ、(私の場合)「一日一節」の、カタツムリみたいにゆっくりと、ほんわかした、日々の信仰生活に喜びを感じています。
何事も「超ラッキー」「チョベリバ」は危険です。毎週コンスタントに日曜日に1節でも物に出来たら、「ニンマリ」が心地いい。無理やり形式的に通読をやろうなんて力まないから、長続きするみたいな・・・。
やはり私は「敬虔ではないクリスチャン」?(マイミク参照・・・)