今日は偶然ですが,以下のような記事を見つけました。
「mixi疲れ」を心理学から考える [ITmedia: Newsより]
日記を書いてから5分以上レスがつかないとそわそわしてしまうという女性の話が出てきます。「足あと」
にどれだけの人が載っているかで一喜一憂するというのです。ご本人は「病気かも知れません」と,薄々気づいてはいるものの,
なかなかペースを落とすのが難しいようです。そんな人に,「健全なmixiライフ」を指南することがこの記事の目的みたいです。
ざっと読んでみました。なるほど,うなづける部分が多いです。ただ,私は以下のような点にむしろ気をつけています。
1) 日記は毎日はつけない。
そもそも,紙の日記ですら三日坊主の私。ネットだからと言って,毎日書けるはずがないです。ネタがあったときや,
「これは人にshareしたら面白そうだ」という事があったときや,「これだけは言いたい!」
という事があるときだけ書くという姿勢を貫きます。一月に1回でも全然OK。記事が少なければ見に来る人も少なく,
それに割かれる時間も減るというメリットもあります。
2) 明確な目的意識を持って書く
「なに書こうかな~」とパソコンに向かうことはしません。「あ,これ書こ!」と思ったときだけ。
しかも,あらかじめ動機付けが決まっているときだけ,書きます。そうしないと時間の無駄だし,
面白い記事は書けません。「ブログは量よりも質が大切」というのが僕のポリシーです。
3) 推敲する
必ず自分の書いた記事を見直し,誤字脱字やおかしな表現をチェックします。いざブログの画面に表示されてみると,
下書きの段階と随分とイメージが違い,思わぬ間違いがあります。ちなみに僕の場合,ブラウザ上では絶対に記事は書きません。ubicast
bloggerという外部ツールを使って書き,一度アップしてからチェックして再アップという作業を2回くらい繰り返しています。「え~,
メンドクサそ」と思うかも知れませんが,この作業が意外に楽しいんですよ。「造り上げていく」という充実感があるのです。
4) mixi の内部日記は使わず外部ブログを使う
これは大事なポイントです。mixiの内部日記を使うと,気楽にコメントがつけられるし,すぐに通知されるので便利ですが,
逆にコメントに縛られるようになります。もちろんコメントは嬉しいですが,コメントのために記事を書いているのではないはず。
外部ブログを使うと,読む方はワンステップ余計にかかるし,mixi共通のコメント欄と違うので,
レスをつけようという気が起きなくなるという効果があります。あと,mixiの日記はデザインもワンパターンで変化に乏しいですが,
外部ブログなら自分のやりたいようにできます。これも重要なポイント。自己表現の場なのだから,単調になるのは避けたいですしね。
5) 人の記事にあまりコメントをつけない
「良かったね~」とか「お疲れさま」といった一般的な事は,最初は嬉しいかも知れないけれど,だんだんネタ切れになり,
書かれた方も嬉しくなくなってきます。「コメントをつければその人とイイ関係にあることを示せる」と考えるのは禁物。むしろ,
本当に大事な時,「これはコメントすべきだ」と思ったときだけ書きます。その方が意外性もあるし,
前のコメントとの重複を避けようとあれこれ悩む必要も無くなります。「読んでくれればいいから。レスいらない。」
という姿勢で書けばいい気がしますね,mixiは。
・・・・以上,「私のmixi考」なるものを書いてきました。書いていて,大元のITmediaの記事に出てくる女性と,
どうして自分はこうも違うのかな~」と思っていましたが,考えてみると,
「ブログは日記なのか自己表現の場なのか」という根本的なとらえ方の違いに,
一番大きなその原因があるような気がしてきました。
私はブログを後者だとみなしています。僕は日記は続きませんし,「日記だ」と思うと「今日も何か書かねば」
というプレッシャーを感じるのがイヤです。書きたいことを書けばよいし,誰が読もうと読むまいと,
自分が真理だと思っていることを表せばよい。それが僕のスタンスです。
mixi上での反応や,ブログのコメントの数に自分の生き方を支配されたくはありません。デジタルはあくまでデジタル。仮想空間は,
あくまで仮想空間。ITの世界に大学時代からどっぷりと浸かり,そこからある意味「抜け出して」いまの神学校にいる私が学んだスタイルは,
「割り切ること」です。
それは,「何を主人として生きるのか」という,
キリスト者の生き方そのものにも関わってくる問題だと思います。言葉を換えて言えば,「人の評価に死ぬ」
と言うことでもあります。(Iコリント4:3参照) それは決して厚顔無恥と言うことではなく,
「私の歩みをさばくのは主である」という信仰から出た生き方です。
人がどうこう言うからということを第一に考えるのではなく,日々自分を吟味して,友の忠告に耳を傾けつつ,
信仰に基づいて生き方を定めていけばよい,と思います。
どうぞ皆さんも,日々何を主として生きるのか,考える人生でありますように。
シャローム!
コメント
かどっちの素早いコメントには驚きました。
私もこの記事を読みましたが、「こんな人もいるんだ」くらいにしか思っていませんでした。
かどっちのコメントの一つ一つに頷きながら読みました。
参考になりました。ありがとうございます。
そうですね。私もこのコラム見ました。
あやういところですねまるで、メールを待つ女子中学生のよう。毎日5時間メールをしている中1もいます。(生徒に聞きました!)
不安なんでしょうね。
ところで、今日夫の出張にあわせて仙台福音自由教会におじゃましました。吉田先生も心から聖書を語っていて伝わってきました。ちょうど、今日は臨時総会があったようです。
かどっちのこれからのために祈ってます!