昨日,中田英寿選手の引退が報じられました。来るべき時が来たか,という感じです。私自身は中田選手と同い年ということもあり,
昔から非常な親近感を持って彼を応援してきました。
思えば,今はなき湘南ベルマーレ所属時代に頭角を現し,またジュビロ磐田の一時代を築いた「闘将」ドゥンガをして「中田を見たか。
彼のように広い視野を持ったプレイヤーは日本にはいない。」と言わしめた中田。コンスタントに良い成績を残すとは言えないながらも,
イタリアとイングランドを渡り歩いたハート。決して饒舌なわけでもなく,いやむしろ寡黙に,また厳しくプレーにあたるプロ魂。
そういったものを,中田は日本サッカーにもたらしてくれました。
ただ,手放しで評価しているわけではありません。時折,「えぇ~,そこでかよ!」というような位置で不用意なパスミスをしたり,
あるいは簡単にボールを取られたりする姿が目に付きました。テクニックに絶対的なものがあったわけではありません。走りまくるわけでもなく,
守りで著しく貢献するわけでもない。世界レベルで見れば,平均的な選手ということになるのかもしれません。
しかし,ここぞというところで輝きを放つ。それが彼が人々の印象に残る所以でしょう。
ペルージャでのデビュー戦でユベントス相手にオーバーヘッドで得点をしたり,
ローマ時代に途中出場ながらスクデッド獲得を大きくたぐり寄せる弾丸ミドルを放ったり,
最近ではドイツW杯直前のドイツとの親善試合で見せた絶妙のスルーとか・・。そういった,「おおおおおおぉ~っ!!」というプレーが,
ここぞというときにありました。
惜しむらくは,彼が必要以上に自分を孤高の存在にしてしまったこと。特に日本代表では,
自分の理想とする水準についてこれない周りに対して,その姿勢が目立ったのではないでしょうか。ただでさえ「海外組」と「国内組」
の間に溝がある今の代表チーム。「海外組」の中でも特別な存在である中田は,どこまでも謙虚になる必要があったと思いますが,
それは難しかったようです。
と同時に,nakata.net に掲載された引退表明文の中でも,とりわけ印象深い文章がありました。それは,
「サッカー,好きですか? と聞かれても,「はい,好きです!」と素直に言えない自分がいた」
というくだりです。単純にボールを追い,汗を流し,笑い,喜ぶ。そういった「楽しさ」を感じられないまでに,
彼は孤独になってしまったかと思うと,残念です。ただ,彼のような感情を持つ人は,実は今の日本には溢れているのかも知れません。仕事に,
人間関係に,家族関係に楽しさや意味を見いだせない。何のためにやっているのか,自分でも分からない。
だからこそ,福音が必要なのだ,と思いました。と同時に「自分は,知らされた福音の語る喜びを体験して生きているのだろうか」
とも問われました。クリスチャンが,「キリストにある人生には喜びがあります!」と伝道しても,その生き方がそれを証ししていないなら,
自己矛盾でしかありません。そのような「宗教」に何の力があるのかと言われても仕方がない。
だからこそ,私たちも「人生のプレイヤー」として,主にあって生きる姿勢を今日も問われていきたいと思います。
そして,中田選手,お疲れさまでした。
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