ワールドカップ・日本-豪州戦

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この時期,どのブログにもこのネタが溢れているのではないかと思いますが,昨晩は日本代表の試合を,神学校の寮で,
仲間達と共に観戦しました。このときばかりは皆が「にわか解説者」になるのが面白いところです。「何やってんだよ~右だろ右サイド!」とか
「押してるんじゃないよっ!」とか,「あれはどう見ても反則ですよね~」などなど。

こうした「副音声」に,時々「うおぉぉ~っ!!」とか「あ~ああぁぁぁ・・」とか「もうダメだぁ」とか,「負けると思ったんだよね~」
といった感情の爆発が入り交じり,ワケが分からない状態になるのは,神学校に限らず,どこのお宅でも同じでしょう。

私はといえば,FWをもっと早く入れ替えるべきだったとか,GKはあのスローインに飛び出すべきではなかったとか,
トラップミスが多すぎとか,雰囲気に飲まれていたいやW杯の初戦なんてあんなものだ,とか,いろいろ言いたいことはあるのですが,
自分としてはかなり冷静に見てました。終わってからも,「まぁ,こんなものかな…」という程度。12年前のドーハの悲劇の時は,
どよ~んとうちひしがれた顔をして高校に行ったし,フランス大会最終予選のジョホールバルで岡野が決勝ゴールを決めたときは
「信じてたよぉ~っ!!」と絶叫したのですが,今回は驚くほど冷静です。

年を取った,ということかな・・? いやむしろ,「勝者の陰には必ず敗者がいる」ということを学んだからかも知れません。
自分たちが勝てば,相手は負けて悔しい思いをする。その人を尻目に,自分だけ大騒ぎするのが,どうもしっくり来ない。負けは負けで,
よい試合をした相手を祝福してあげたい,と思うようになりました。

負け惜しみではありません。というのは,たとえ勝ったときでも,立場が逆になっただけで,明日は我が身かも知れませんし,また,
頑張ったのは選手なのに,あたかもそれで自分(あるいは自分の国)の価値が上がったかのような錯覚に,人間は陥りやすいからです。
それよりも,人生の勝利者となるにはどうすればよいか。これが今のいちばんの関心事です。

言うまでもなく,キリスト者は,神の子であるイエス・キリストに,勝利を見出しています。キリストに従う所に栄冠があるのであり,
それを見極めるのは人間ではなく神である。この真理こそ,今の私の生きる原動力です。

とはいえサッカーはやはり熱くなるもの。それを否定したら人間性を捨てたに等しい,とも思います。

適度に熱くなりつつ,これからもW杯を楽しみたいと思います。

コメント

  1. 日下かおり より:

    お久しぶりです
    家も父と弟が夜更かししてサッカー見ていました
    朝、父に勝敗を聞いたら非常に不機嫌そうでした
    サッカーの事はルールくらいしか知らないので
    私は蚊帳の外ですが、ドイツの極右だけは気をつけて欲しいです(全然関係ないかな…)
    PS.mixiの紹介文勝手に書きましたが、嫌だったら消してくださいね^^V